ブルー(整備士)からホワイトカラー(営業職)

私は、専門学校を卒業してから25歳まで整備士をやっていました。5年目に上司や先輩を見て自分の将来に不安を感じていた私は職場に対する不満もあり退職を決めました。新しくする仕事を迷いながら惰性で土方の肉体労働系の仕事をしているうちに何かやったことの無い仕事で将来に夢の持てる仕事をしたいと漠然と思い、そんな時に小学校からの友人に誘われ初めて営業をしたりパソコンを使う仕事をするようになりました。

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資格を取って好きな仕事へ転職

私は最初の就職先では事務員をしていました。仕事内容は従業員の給料計算や各書類の手続きをするなど総務的なものでした。社会人になってから初めての仕事でしたので、最初は学ぶことも多く、失敗して叱られることもありましたが、新鮮で刺激のある日々を送っていました。

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ホールスタッフから社長秘書へ

パチンコ店でホールスタッフとして働いていた私は20歳で給与は25万程度で実家暮らしでそれなりに生活も出来てはいました。ただ何の仕事をしているの? と聞かれた時に答えづらく誇りを感じるなんて遠い話でした。それでも、やはり高卒で何の資格も特技もない私にはパチンコ店以上の稼ぎのある仕事というのは見つからずに辞めることが出来ずにいました。肉体労働だし、仕事は歳を取って続けられる仕事でもないとわかっていた分余計に不安が募るばかりでした。

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図書館から大学広報の広告代理店へ

図書館の業務受託会社から、大学の広報媒体を制作している広告代理店へ転職した際の経験です。図書館では利用者の目に触れる業務、つまりカウンターでの利用者対応、返却された本を棚に戻す作業、予約図書の手配などを中心とする業務に従事していました。自治体から会社に1年単位で委託される業務なので、正社員になれず給与も低く、自治体が指定する仕様書通りにしか動けない。給与も職務能力も頭打ちだという感触がありました。

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事故車業界は大変過酷な労働環境

私は包装資材の営業から事故車の買い取りの営業マンに転職しました。きっかけはネットの求人広告で事故車の買い取りの求人を見た事です。まず気になったのが、給与面です。

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